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E5 西武池袋本店 九段下寿司政 地下1階 おかず市場 文久元年(1861年)創業の老舗寿司店

九段下寿司政は創業約160年以上。現在で五代目です。初代の戸張好造は1861年(文久元年)に日本橋に寿司好の屋号で開業し、屋台を引きながら商売を始めました。夜は日本橋界隈、上野の黒門町、神田の茅場町界隈で寿司屋台を出していました。そのころ使っていた文久元年と書かれた米びつが今も九段下寿司政に残っております。明治になり寿司政は二代目太田福松の時代に神田三崎町の歌舞伎小屋・三崎座で寿司を握るようになります。当時神田三崎町は三崎座、東京座といった芝居小屋の聖地。二代目は道楽が好きで歌舞伎小屋に通う大店の旦那衆や芸術家と親交を深めました。そのころをしのばす竹内栖鳳画伯の「いか」と「かえる」の二枚の色紙絵が現在も九段寿司政店内に飾ってあります。江戸時代からの老舗ではありますが、寿司政では寿司とは気楽に召し上がるものだと考えています。昔から継承してきた寿司の味の決め手となる、シャリやガリ、おぼろに至るすべての食材を守る一方、寿司の合間に出す料理のおしのぎは、日本料理の決め手となる全国の走りの食材や旬の食材をお出しします。現在は四代目 戸張太啓寿、五代目 戸張正大を中心に田中武士店長が九段下の本店を、そして西武池袋本店では店長の飯田隆之が皆さまをお待ちしております。【2021.6月記】

この絵は明治28年ごろの靖国通りに架かる俎板橋、右横に現九段郵便局が描かれています。路地を入った所が寿司政(現在の本店)の場所。三代目は大正12年の震災で三崎座から焼け出され現在の九段下に店を構え、戦後いち早くすしを握り始め、昭和48年に他界するまでに現在の寿司政の土台となる味を作りました。

神田三崎町の歌舞伎小屋・三崎座で寿司を握っていた二代目太田福松の長男が三代目の戸張政次郎です。 政次郎は父福松とは逆に驚くほどの几帳面な仕事一筋の人。今も寿司政の顧問樽川正二郎(現84歳)は三代目の話題になると、毎回包丁の砥ぎ方を見られては手がすくみ、体が凍りついたと言います。

四代目の戸張太啓寿が九段下の店を継いだのは30年前。寿司政では12歳になると、玉子焼き、おぼろ、こはだの〆方、あなごの煮方、ガリ等の仕込み全般を習得するのが習わしでしたが、その後横道にそれ、他業界で別の道を歩んでいました。三代目政次郎の他界後は、妻百合子が101歳で平成22年に他界するまで、30年間寿司政の伝統の味の仕込みを職人達に教え自ら築地魚河岸に行って魚を仕入れていました。百合子は芝百合の名で哥澤の名取として芸事に秀で、食のこだわりも強く、妥協しない性格が寿司政の味を守り通しました。そのため『寿司政は職人が代わっても味が変わらない』と作家の山口瞳さんは語りました。

そして平成の初め四代目、戸張太啓寿が他業種から戻り店主となります。そして、五代目戸張正大(長男50歳)が十代のころに祖母百合子から教わった、卵焼き、穴子の煮かた等寿司全般にわたって味の継承を心がけています。近年は世間での寿司の味は昔とかなり変わってきています。しかしガリ一つを取っても、寿司政のガリは昔ながらの酸っぱめで、各々のすしの味を引き立てつなげる役目。寿司の命はいきのよい鮮魚をいかに生かすかです。 そしてもう一つの寿司の本流、煮物ネタ(穴子、煮いか、はまぐり、しゃこ)、〆物ネタ(こはだ、鯖)等も新鮮な仕入ができて初めて代々継承されてきた仕事が生きてきます。それらネタと赤酢を使った握りには寿司政の職人の魂が込められています。

寿司政西武池袋店のテイクアウトの品ぞろえ。昔気質の江戸の味が人気です。

大人数が集まったとき、江戸の味を今に伝える寿司政のにぎりやばらちらしは最高級のおもてなしです。電話でのご予約も承っています。

お手数ですが、お問い合わせ内容欄に必ずE5 西武池袋本店 九段下寿司政と記入してください