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F15 西武渋谷店 すし萬 A館8階 イートイン、テイクアウト対応型グルメのルーツ、「押しすし」の老舗

日本人の好物で、天ぷらの20倍の市場規模があるという、世界に知られる「すし」の名前は平安時代から現れます。「すし」は中国大陸からではなく、元々は東南アジア山間部での魚の保存技術であり、この当時すでに東南アジアから京の都に来日していた外国人によりもたらされたようです。これは「熟(な)れずし」と呼ばれ、現在の滋賀県の鮒ずしのようなものでした。これが江戸時代に「早すし」という「酢めしを魚と一緒に食べる料理」に変化し、大阪で「押しすし」が考案されます。押すことで寿司種とすし飯が密着し酸化しにくくお持ち帰りや弁当にも使いやすく、冷蔵庫の無かった時代に市場規模が一気に広がりました。押しすしのすし飯は昆布だしで炊き砂糖やみりんなどを用いて味付けします。このあと独身男性が多かった江戸では、大火事の炊き出しから生まれた握り寿司がファストフードとして広まり、その後関東大震災で罹災した江戸の寿司職人が全国に散らばり、握り寿司が全国に広まりましたが、こちらも近年の冷蔵技術の発達までは、寿司種は生魚ではなく、穴子のように煮たものやコハダのように酢で締めたものなど下ごしらえ(仕事)をしたものが中心で、子どもには生魚を使ったすしは食べさせないことが多かったようです。現代の「デパチカ持ち帰りグルメ」のルーツはこのテイクアウトにも好適な「押しすし」なのかもしれません。【2021.12月記】

すし萬の商標に付けられた「雀鮨」とは、大阪の名物で元々はボラの幼魚「江鮒」を開いて腹にすし飯を詰めて膨らんだ腹やピンとしたヒレが鳥の雀に似ていることから名が付いたといい、「江鮒の雀鮨」は江戸初期の俳書「毛吹草」(1645年)にも大阪名産として紹介されています。すし萬は承応2年(1653年)に創業し魚屋の副業として雀鮨を作っていました。そして天明元年(1781年)に京都の仙洞御所に兵庫県西宮沖の戎神社の前の海で獲れた小鯛二才ものを使用した雀鮨を献上し、ご好評を賜わったことから、この雀鮨を「小鯛雀鮨」と名付け「総本家小鯛雀鮨」を名乗るようになりました。

明治元年には大阪津村別院(北御堂)で明治天皇のご用命を賜り、御膳所御用御包丁人の看板が付くようになりました。すし萬の小鯛は日本近海の天然物に限り、お米は独自の配合、昆布は北海道産の真昆布、お米によく合う京都の醸造酢を使用し仕上げており、遠く祖先から現在まで脈々と受け継がれてきた伝統の技を守り続けています。そのほかのすし種も、江戸時代から現在に続く流儀で、単に生魚を載せるのではなく、穴子のように煮たものやコハダのように酢で締めたものなど職人技による下ごしらえ(仕事)をしたものを使っています。

上は登録商標 小鯛雀鮨です。小鯛は日本近海の天然物に限り、お米は独自の配合、昆布は北海道産の真昆布、お米によく合う京都の醸造酢を使用し仕上げております。下は登録商標 阿奈古すし。秘伝のタレで煮込んだ、柔らかい穴子を使った押しすしです。シャリの中に椎茸と干瓢の刻みを巻き込んであります。すし種とすし飯の織りなす微妙な調和はすし萬以外では味わえません。醤油を付けずにお召し上がりください。

すし萬のランチのセットメニューは何とも欲張りです。大阪すしと江戸前すしの両方の魅力を一皿で味わえます。すし飯の違いにもお気づきになると思います。またお椀も関東ではほとんど使われない「しび節」(まぐろ削り節)を使っていて、デリケートな味わいの押しすしと見事な調和を見せてくれます。関東各地ではなかなか味わえない、このデリケートなバランスはすし萬独自のものです。ちらし寿司のご用意もあります。

こちらは夜のメニューの一部です。上は特選にぎり(先付、握り十種、お吸い物、白身、光物、貝類を含む良質のネタを盛り込んでいます)。
下は小夜にぎり(先付、握り十一種、お吸い物、厳選されたネタと雲丹、いくらの小鉢丼や活車海老、当店自慢の小鯛柚子昆布〆を加えたお勧めメニューです)。

こちらはお持ち帰り(テイクアウト)メニューの一部です。上は筥(はこ)すし2枚(1.5人前)。動画で作っていたのがこれです。下は圧しすし(押しすし)詰め合わせ。すし萬の大阪すしのラインアップが勢ぞろいのにぎやかさです。

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