SOGO SEIBU TransCulture

H22 そごう千葉店 丸福珈琲店 5階 紳士服フロア 昭和初期から今に至るまで日本の豊かなコーヒー文化伝え続けています。

シャンデリアと昭和のモダンガールのイラストが印象的なエントランスからコーヒーの豊かな香りが漂います。丸福珈琲の珈琲豆は、丸福のブレンド珈琲に適した生豆をいくつかの商社を通して買付けます。そして不要な部分を磨きとり、表面の美しい均一な豆の状態にします。焙煎はその日の気温・湿度などを意識し、豆のはぜるパチパチという音を聞き、香りや煎られる豆の色や照りを見て、終始釜に張りついた状態で丁寧に手仕事で火加減をしながら『深煎りの極み』と呼ばれる豆に仕上げて行きます。抽出法も独自のもので、初代オーナーである伊吹貞雄氏が開発した器具を使い、職人技でドリップします。ほかの器具を使う抽出とは違い手間も時間もずいぶんかかりますが、創業当時から続くこのような工程を経て丸福独特の味わいが生まれています。

丸福では、技術を認められた職人だけがお客さまの珈琲を抽出することができます。店内で“カチカチ” とリズミカルにスプーンを鳴らす音が響いているのは、抽出する時、珈琲の蒸らし具合やお湯の落とし具合を調整するために、ドリッパーを軽く叩いているからです。カップ&ソーサーは大倉陶園製のものを使用しております。大倉陶園は宮内庁にて皇室の方々が使用されている食器に携わる日本を代表する陶園です。紙ナプキンやストローの袋なども創業当時のままのデザインです。

鳥取県の商家に生まれ育った創業者 伊吹貞雄氏は末弟だったため父親から自分のやりたいことを見つけ、全うするように教えられます。そんな彼が目指したものは、洋食レストランのオーナーシェフになることでした。志を抱いて、食いだおれの街 大阪に居を移しますが、いざ自分のレストランを出店する際には、当時世界的にハイカラな街 銀座や帝国ホテルに憧れ、東京に上京することを決心し「丸福珈琲店」を創業する前に、東京武蔵小山にて洋食レストラン「銀嶺」のオーナーシェフとして腕を振るいはじめました。ここでは得意のデミグラスソースを使ったタンシチューなどが評判でした。

ちょうど、そのころ大正初期から、銀座の街では珈琲という時代の最先端の飲み物が、流行しはじめます。彼もその珈琲に衝撃を受け『自分のレストランでも食後の珈琲をお出ししたい』と考えます。しかし、当時、入手できる豆や器具では彼の望む味わいや香りを作ることができませんでした。イタリアンシェフや香港出身のシェフ達との親交もあったことから、“濃厚でコク深い味わいだが後味のさっぱりした珈琲” を創作することを目指し、独自の研究をはじめます。そして輸入の珈琲器具や焙煎豆をそのまま使うのでは、味や香りを調整できないと考え機械工学的な洋書まで取り寄せ、自分なりの理論で設計図を引きはじめます。町工場に持ち込み、試作を繰り返しでき上がったのが、動画にも登場した現在丸福で使用している独自の抽出器具です。

創業者 伊吹貞雄氏は自ら研究し作り上げた器具と焙煎豆を使い自分の経営するレストラン「銀嶺」にて、食後の珈琲をお客さまに提供しはじめます。大阪の料理人仲間も東京に呼び、珈琲を味わってもらったところ口々に『大阪には、まだまだ珈琲というものが伝わっていないから、珈琲を広めるべきだ』と言われ、本人はそれを真剣に受け止め、軌道に乗っている「銀嶺」を閉め、大阪に戻って、今度はレストランではなく、当時大阪で一番にぎやかだった新世界地区に珈琲専門店を開業します。これが昭和九年「丸福珈琲店」の創業でした。第二次世界大戦を迎え、常連のお客さまの多くが「これが最後の珈琲の味やなぁー」と戦場に向かわれました。創業者は、戦場から戻って来られるお客さまが、再び丸福にご来店くださった時のためにコーヒー豆と角砂糖を自分の子ども達より先に、鳥取の菩提寺に送って守りました。そして、ほぼ一日も休まず営業を続けました。いまだに角砂糖を使用しているのも、物のないこの時代にお子さん達にアメがわりに角砂糖を与えていたエピソードを忘れていないお客さまがたくさんいるからです。

戦後は、すぐ千日前に本店を移し、大阪の復興と共に華やかな時代を迎えます。珈琲もすっかり生活に根付き、たくさんの芸人さんや役者さん、文化人の方々に愛される店となりました。田辺聖子著「薔薇の雨」では、小説の舞台となり、主人公が丸福珈琲店を訪れるところから、 ストーリーが始まります。昭和天皇が島根・鳥取方面をご訪問された際には、たった一杯の珈琲を天皇陛下にお出しするため、 冷水で身を清め白装束で焙煎に挑みました。辰巳柳太郎氏は、丸福を愛してくださった俳優さんの一人。木彫りの看板を手作りしてくださったり、創業者とも親しくしていただきました。当時は付き人だった緒形拳氏も同様に晩年までご来店いただきました。『東京ブギウギ』を大ヒットさせた歌手、笠置シヅ子氏、松竹新喜劇俳優、曾我廼家五郎氏とも大変親交が深く、また入口近くの席は6代目笑福亭松鶴氏のお気に入りでした。
亡なられた後も、しばらくは朝、その席が空いていても『あそこは松鶴さんの席やから』とほかのお客さまが座られなかったというエピソードが残っています。

 

コーヒーの余韻に浸って店を出ると一面のトルコタイルが貼られたエレベーターホール。ここまでコーヒー文化が広がっているような光景です。

PROFILE

松嶋 幸太郎

Matsushima Koutarou

松嶋店長は地元の大阪にある大手チェーンの喫茶店での経験を皮切りに、10年ほど前に大阪の丸福珈琲に入社。関西の店舗にて勤務経験を積み、丸福珈琲西宮ガーデン店などの大型店で店長経験を積んだ後、2021年7月のそごう千葉店への出店を契機に千葉店に赴任しました。関東でも徐々に店舗網を広げている丸福珈琲の独自の味わいを、千葉のお客さまにも早く広めていきたいと考えています。

お手数ですが、お問い合わせ内容欄に必ずH22 そごう千葉店 丸福珈琲店と記入してください